共同代表
洪敬義(社会活動家/在日3世)
朴香樹(北朝鮮人権活動家/韓国在住在日3 世)
理 事
金京優(会社員/脱北帰国民 2 世)
キム ヨセフ(脱北 YouTuber)
白琇晶(大学教員/韓国人ニューカマー)
松田実樹(記者)
後藤美波(脚本家・映画監督)
監 事
林範夫(日本弁護士/在日3 世)
連絡先(Email):freetomovenk@gmail.com
在日コリアン3世として、朝鮮総連の専従活動家を20数年務めました。在日コリアンの人権保障に取り組む一方、組織内の民主化を求めたことで除名処分を受けました。活動期間中に北朝鮮を20回近く訪問し、厳しく統制・抑圧された住民たちの生活に直接触れたことが、Free2move設立の活動原点です。
歴史の加害者にならないために、被害者と弱者と共に歩み続けること。この思いを共有するメンバーたちと、国家と権力に翻弄されない次世代を育てるために、私たちは活動を続けています。
在日3世として神戸で生まれ育ち、幼稚園から高校まで朝鮮学校に通い、その後は日本の大学と大学院で学びました。
韓国人の夫と家庭を築き、1999年から韓国在住です。
帰国事業で北朝鮮に渡り、収容所に送られた叔父家族の話や自分の経験など、北朝鮮人権に関する発言を続けてきました。
これからも日韓及び世界中の北朝鮮人権団体と力を合わせ、北朝鮮で苦しい状況に置かれた人々のために祈りと知恵を集め、新しい流れをつくり出す活動をコツコツ続けていきたいです。
私は日本から帰国した在日朝鮮人夫婦の次男として北朝鮮で1979年8月に生まれました。
幼少の頃から日本の親戚の援助のおかげで厳しい北朝鮮社会の現実を経験することなく成長しました。
しかし私自身の生活は安定的であったにもかかわらず、そうではない友人たちと共に過ごし、彼らの貧困を共有しようと努力しました。
このような経験から困難に対する理解と忍耐力を学びました。
成長と共に、良心が在日朝鮮人帰国者ということもあり、北朝鮮社会での限界を悟るようになり、この社会での未来を描くことができないと感じるようになりました。
そして、北朝鮮での人生に終止符を打つために、2008年の夏に妹と共に死を覚悟して脱北して日本に来ました。
日本に来てからは一生懸命に勉強して生活も安定してきましたが、故郷である北朝鮮の友人たちの置かれている状況に罪悪感を感じ始めました。
彼(女)らは厳しい状況下で生活しているのに比べ、私はあまりにも平安な日常を過ごしているなと思うようになり、彼(女)らのためにも北朝鮮の人権を改善しなければならないと決心するに至りました。
2011年からは毎年中国に出張に行くようなったことが契機となり、中朝国境地帯を視察しながら自分なりに北朝鮮の人権について研究をしてきました。
そういう時に「Free2move」という団体を知るようになり、積極的に関わるようになりました。
自分ひとりの努力だけでは限界があり、多様な知識と経験をもったメンバーたちと活動することにより、北朝鮮の人権をより効果的に改善させることができると信じております。
今後、「Free2move」の活動に積極的に関わり貴重な経験を積みながら、北朝鮮の抑圧された同胞を救いたいと思います。
1985年、北朝鮮東部・咸鏡南道に生まれました。
23歳で脱北し、韓国で4年間生活したのち、2013年に日本へ来ました。現在は会社員として働きながら、YouTuberとして北朝鮮での生活実態や、自由の意味について発信しています。著書に『僕は脱北YouTuber』があります。
会いたい人に会えること。行きたい場所へ自由に行けること。
聞きたい音楽を聴き、見たい映画を見たいときに見ること。
日本社会では当たり前の日常が私にとっては決して当たり前ではありませんでした。
北朝鮮で過ごした23年間、私は閉ざされた社会の中で、見えない世界への好奇心と、よりよい生活への憧れを抱きながら生きてきました。その思いが私を脱北へと導き、いまの自由な生活につながりました。しかし、これは私だけの過去の話ではありません。同じ空の下、同じ時間を生きている親戚や友人たちは、今もなお、自由に移動し、自由に知り、自由に選ぶことができない現実の中にいます。
自由は、特定の国や一部の人だけに与えられるものではありません。
すべての人に保障されるべき、人間の尊厳そのものです。
現在、関西コリアンタイムズの発行人・編集長を務めるとともに、近畿大学・阪南大学で韓国語を教えています。
高校卒業後、日本へ留学しました。一度帰国し、結婚・出産・子育てを経て再来日。大学・大学院では児童教育とバイリンガル教育について学び、研究しました。
韓国系民族学校で小学校教員として勤務した後、ジャーナリストに転身しました。取材活動を通じて北朝鮮人権問題に関心を持つようになり、現在は関西地域のコリアン社会を中心に、教育、多文化共生、日韓関係、北朝鮮人権などをテーマに取材・発信を続けています。
在日コリアンの歴史を学ぶ中で、帰国事業について知りました。1959年から1984年にかけて約9万3000人が北朝鮮に渡り、その後、脱出できた人はわずか約500人、日本に戻った人は約200人にとどまります。帰国後、厳しい差別や飢餓、人権侵害に直面し、中には強制収容所に送られた人もいたと知り、大きな衝撃を受けました。
当時、日本社会の中で帰国事業が広く肯定的に受け止められていたこと、そして今も当事者や家族が生きていることを考えると、この問題は決して過去の出来事ではありません。また、北朝鮮に渡った在日の人々が持ち込んだ文化や生活の記憶が、現地にも根づいていることに関心を持っています。
韓半島が北と南に分断されているように、在日社会も長く北と南に分断され、この問題について語ることの難しさがあります。だからこそ、国家や体制によって家族や人の移動が断ち切られることのないよう、自由に往来できる社会を目指すFree2moveの活動に関わっていきたいと思っています。さまざまな世代が、歴史や人権問題を自分の言葉で学び、語れる場づくりに取り組んでいきます。
日本で生まれ育った私にとって、韓国や北朝鮮はもともと身近な存在ではありませんでした。しかし、米国留学中に韓国人のパートナーと出会ったことをきっかけに、朝鮮半島の歴史を学ぶようになりました。
学びを深める中で、歴史に翻弄され日朝韓の間で離散した家族や、「帰国事業」で北朝鮮へ渡った日本人妻の存在など、日本ではあまり知られていない現実を知り、日本人として向き合うべき課題だと感じました。
さらに、コロナ禍で韓国にいるパートナーと約2年間会えなかった経験から、自由に国境を越えられることの尊さを実感しました。だからこそ、自由往来をはじめとする北朝鮮の人権問題を他人事ではなく、自分自身の課題として捉えています。
歴史や社会について学び続けながら、人権改善に向けた活動に取り組んでいきたいと思います。
1994年4月に弁護士登録した在日コリアン3世の弁護士です。
大阪弁護士会に登録すると同時にソウルに留学し、韓国語と韓国家族法を学んで戻ってきました。以来、約30年間、大阪で弁護士として活動しています。
1994年の南北関係は北朝鮮の核開発疑惑をめぐって大変に厳しい状況にありました。米第7艦隊の原子力空母が韓国に派遣され、迎撃ミサイルが都市に配備されるなど、まさに一触即発の状態でした。自国に急遽帰国する留学生・駐在員やその家族が多数いて、戦争の危険を初めて肌身で感じました。
7月には金日成が死亡しました。朝鮮戦争を経験したお年寄りはどのように思っているだろうと、よく利用していたクモンカゲ(街の小さなよろず屋さん)のハルモニ(おばあさん)に質問してみました。「統一した朝鮮を見せてあげたかった。あの人がいちばん統一を望んでいた」との回答に、「ああ、韓国と北朝鮮は同じ国だったんだなぁ」と本国で生まれ育ったハルモニの言葉に感動しました。
しかし、南北はいまだに分断されたままです。往来は厳しく制限され、朝鮮戦争による離散家族、脱北者と北朝鮮に残されたままの家族、拉致被害者とその家族、多くの人たちが生き別れの苦痛の中にあります。移動の自由は、身体の不当な拘束からの自由ですし、場所的に移動して知見を広める人格的価値を有する重要な人権です。家族に自由に会えることは、まさに人格の核心をなすものでしょう。
いかなる政治体制、統治システムをとっているのであれ、このような移動の自由は、しっかりと保障されなければならないと思います。一足飛びに統一できなくても、人の往来はできるだけ保障できないものか、そう考えてF2Mの理念に賛同し、役員に名を連ねることになりました。

